アニメーション映画『シンデレラ(Cinderella)』は1950年2月15日に公開され、日本であ1952年3月7日に公開されました。
ディズニー社は『白雪姫』以降、ヒット作が出ておらず、スタジオも経営危機に陥っており、次の作品でヒットを出さなければ会社としての未来がないという状態でした。ウォルト・ディズニーは「逆境にある少女の物語を…」と制作に踏み切った作品がこの『シンデレラ』となります。
戦後はじめてのディズニー映画として話題も呼び、結果念願の大ヒットとなります。
関連グッズなども売れ、アニメーション作品においても興行的に大成功した作品となります。
挿入歌の『ビビディ・バビディ・ブー』が収録されたレコードも大好評で音楽においても印象的な作品となりました。
主題歌のほとんどはウォルト・ディズニーがニューヨークでスカウトしたマック・デイヴィット、ジェリーリヴィングストン、アル・ホフマンの3人のチームが担当しました。
今回はアニメーション映画『シンデレラ』の音楽について紹介します。
Contents
音楽データ
主な音楽担当
- 作詞・作曲:マック・デイヴィッド(Mack David)
- 作詞・作曲:アル・ホフマン(Al Hoffman)
- 作詞・作曲:ジェリー・リヴィングストン(Jerry Livingston)
- スコア:オリヴァー・ウォーレス(Oliver Wallace)
- スコア:ポール・J・スミス(Paul J. Smith)
- オーケストレーション:ジョセフ・デュビン(Joseph Simon Dubin)
この作品の音楽家は歌への強いこだわりを持っていたウォルト・ディズニーがニューヨークまで探しに出かけスカウトしたスタッフです。映画の成功に音楽や歌の存在は欠かせないものであるとプロジェクトの段階から信じ、結果として作品として大きな成功をおさめることができました。
代表曲
- 「メインタイトル/シンデレラ(Cinderella)」
- 「夢はひそかに(A Dream Is a Wish Your Heart Makes)」
- 「歌えナイチンゲール(Oh, Sing Sweet Nightingale)」
- 「仕事の歌(The Work Song)」
- 「ビビディ・バビディ・ブー(Bibbidi-Bobbidi-Boo)」
- 「これが恋かしら(So This is Love)」
ドラマチックな楽曲から「ビビディ・バビディ・ブー」など現在においても多くの世代で愛される楽曲が誕生しました。
知っておきたいディズニーソング!『シンデレラ』の曲!
夢はひそかに
「夢を信じ続ければ、きっといつの日か虹の架け橋がかかる」というシンデレラの心情を歌った楽曲です。
ソングライターチームがこのウォルト・ディズニーのために最初に作った曲で、ウォルト・ディズニーはこの曲がお気に入りだったそうです。
歌えナイチンゲール
不快な音楽とシンデレラの美しい歌声と対比させ、やがてたくさんの泡に映るシンデレラからは美しいハーモニーが聴こえてきます。
仕事の歌
ファンタジーあふれるシーンのひとつで、ネズミや小鳥たちがシンデレラの仕事を手伝うシーンで使用される楽曲です。
ビビディ・バビディ・ブー
言わずと知れたディズニーを代表するようなマジックソング。フェアリー・ゴッドマザーが魔法をかけるときに歌う楽曲です。
シンデレラのボロボロの服は美しいドレスに、ネズミは白馬に、かぼちゃは馬車などファンタジー作品における名シーンといえるでしょう。
これが恋かしら
「シンデレラ・ワルツ」とも呼ばれ、お城の舞踏会でのダンスはこの音楽によって引き立てられるものとなります。舞踏会などのダンスシーンは後の映画作品においてもロマンチックなシーンを象徴させる役割を持たせてくれます。
ロマンチックの元祖として『シンデレラ』のワンシーンは多くの人々を魅了してくれます。
歌の持つ力を信じたウォルト・ディズニーの決断
この作品までディズニー社には専属の音楽家の存在がありました。
『白雪姫』の音楽を担当したフランク・チャーチル(Frank Churchill)や『ピノキオ』の音楽を担当したリー・ハーライン(Leigh Harline)といった素晴らしいメロディーメーカーがいなくなってしまい、『シンデレラ』ではこれまでのディズニー作品のような歌を創り出せる音楽を必要としました。
これまでのディズニー映画から一転して歌の映画を作ることも可能でしたが、ウォルト・ディズニーは新たに外部から作曲家を雇う決断をとります。
ティン・パン・アレーの作曲家との出会い
新たに作曲家を雇うことを決断したウォルト・ディズニーは期待に応えてくれるソング・ライターを求めニューヨークの「ティン・パン・アレー」の作曲家を探します。
「ティン・パン・アレー」とはアメリカ ニューヨーク マンハッタン28番通りを指します。
その呼称はブリキ「tin」、フライパン「pan」、路地「alley」からきているようで、室内のピアノの音が路地に響いたことでそれがブリキのフライパンを叩くような音だったことから定着したようです。音に溢れ賑やかな路地としてこのように呼ばれていました。
そこで出会ったのがマック・デイヴィット、ジェリー・リヴィングストン、アル・ホフマンの3人です。
3人の音楽家はチームとして制作に従事し、約9週間ですべての曲を完成させました。
この3人は制作の初期段階から関わっており、ジェリー・リヴィングストンはアニメーションのシーンや構成が毎日のように変更されたりスコアが完成した後でも曲が削られたりするのには驚いたそうです。
制作段階で音楽家も含めてストーリーボードの絵を使い、シーンの進み具合を考えるという過程は当時の音楽家にとっても新鮮でした。この様な制作過程は後のディズニー映画における音楽家たちも体験することとなり、音楽が深く密接に関わっている映画作品として重要な制作過程であると考えられます。
歌も商業的に考え始めた作品
映画『シンデレラ』のヒットには音楽が多くの人々に愛されたことも背景として捉えられ、使用された楽曲もビジネスとして成り立たせることを考えます。
そこでディズニー社は音楽出版事業をはじめ、楽譜を出版します。想定通り「夢はひそかに」
「ビビディ・バビディ・ブー」「仕事の歌」などは楽譜の売り上げも大きかったそうです。
レコードなどのアルバムは発売後、75万枚も売り上げたほかアーティストによる『シンデレラ』の楽曲を歌ったシングル盤は100万枚の売れ行きを記録しました。
スコアやオーケストレーションにおいてもその音楽は高く評価されており、音楽をビジネスとして捉えてみても大成功をおさめた映画となりました。